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一度きりの人生
2011.10.30

 

萩や女郎花などの、秋の七草も影をひそめ…ゆっくりと秋が深まりはじめました。

早いもので、もうすぐ11月です。

 

年末が近づくと、あちらこちらから聴こえてくるのが、

「またひとつ、歳をとっちゃうわ」というため息まじりの声。

かく言うわたしも、以前は同じように呟いたものでした。

しかし、どなたかの言葉だかは忘れましたがー

      

      歳は取るものではない

      重ねるものでもない

      有り難くいただくものだ

      いただいて、自分で自分の人生を育てるのだ

 

という説を読んで、ああなるほどなぁと思ったものです。

更に、

「映画を観、美術館に行き、俳句や短歌を愉しみ、読書をする。つまり、文化に触れることだ。

こういう人には若々しいオーラがある」という件にも納得しました。

たしかに、そうした人の脳は間違いなく柔軟になり、好奇心旺盛。

新しい考え方や、異なる価値観にも心を開けるはずです。

脳が固まると、自分の考えを曲げないし、新しい価値観を受け入れる柔軟さがなくなります。

歳を取るのは皆平等なれど、その老い方には大きな個人差が生まれる…ということですね。

体が衰えてくるのは致し方ないとしても、せめて気持ちだけは若々しくありたいものです。

高齢化社会といっても、皆が若々しければ社会全体が明るくなるはず。

これは、立派な社会貢献かもしれませんね。

 

人生は、一度きり。

栃木市の生んだ文豪・山本有三の「路傍の石」の一節を、あらためてかみ締めたいと思います。

 

       たったひとりしかない自分を

       たった一度しかない一生を

       ほんとうに生かさなかったら

       人間に生まれてきた甲斐がないじゃないか

 

 

 

 


 

おやつ
2011.10.21

 

今でこそコンビニをはじめ、さまざまな所で「おやつ」を買えるようになりましたが、

わたしの幼き頃は、「おやつ」はすべて母や祖母の手作りでした。

特に母特製のドーナツは、今でも天下一品と思えるほど、実に美味しいものでした。

そんな経験があるためか、母となったわたしもよく子どもにおやつを作ったものです。

中でも、[にんじんホットケーキ」は、子ども・子どもの友人・友人のお母さんにとても好評でした。

えっ?友達のお母さん?…そうなんです。

 

わたしのおやつ作りは、お店の仕事や家事をしながらのものでしたから、

母のように小麦粉とベーキングパウダーを入れて…という手間のかかることはできません。

市販のホットケーキの粉を使いました。

ただひとつ手間をかけたのは、にんじんをすりおろすこと。

そのにんじんを卵・牛乳と混ぜ、粉と合わせて焼き上げ、バナナ・苺などのフルーツで飾ります。

最後に、搾り出しチョコレートで子どもたち一人ひとりの名前を入れて、出来上がり。

それを食べる彼らたちの、嬉しそうな顔・顔・顔・・・。

ある日、子どもの友達のお母さんから電話がありました。

「うちの子はにんじんが大嫌いで、どんなに手をつくしても決して食べなかったのに、

突然へいきで食べるようになりました。聴けば、お宅でにんじん入りのおやつを食べ、

にんじんって美味しい!と思ったと。助かりました。有り難うございました。」

    

         にんじんって、綺麗な色だね〜。にんじんって、甘くて美味しいんだよ〜。

 

そういいながら、みんなで一緒に作ったからでしょう。

「おやつ」っていいな、とつくづく思った記憶があります。

「おやつは、子育てのキーマン」・・・その所以は、そんな経験でした。

 

日中が忙しければ、夕食後。ほんの少しの時間でちょっとしたデザートが作れます。

テレビを消し、虫の音を聴きながら…

子どもといろんな話をしながら作れば愉しいですよ♪

もちろん、遅く帰ってくるお父さんの分も忘れずに。

妻と子の手作りデザートに感激し、帰宅が早くなるかもしれません、ね。

 

 

 


 

倖せの連鎖
2011.10.15


    月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ

  

      -月のあかりは、分け隔てなくすべてのものに降り注ぐもの…

      しかし、月を見上げ 月を愛でる心なくば、その有り難さに気づくことはない-

 

これは、わたしの大好きな法然上人が詠んだ「月影」という歌です。

法然が9歳の時、父が夜討ちに遭い命を落としました。

武士の子であった法然。当時であれば間違いなく仇討ちに生きることになります。

しかし、「決して仇討ちなどしてはならぬ。刀を捨て、仏門に入るのだ」という父の遺言に従いました。

理不尽な死を遂げた父の枕元での、その心中はいかばかりであったことでしょう。

だからこそ、「貴族の仏教」から「庶民の仏教」へという道を切り開いていけたのだと思います。

どんなに理不尽であっても、骨肉を相争うことのないようにと願いながら散っていった父の命、

その信念こそが、法然の人生の根源でありましょう。

 

昔から、「子は親の鏡」「親の背をみて子は育つ」と云われています。

増え続ける幼児虐待も、ほとんどの母親は過去に虐待を受けています。

そら恐ろしい連鎖です。

愛されることを信じて、この世に産まれてくる赤ちゃん。

その純粋無垢な赤ちゃんが、抱きしめてさえ貰えず真っ暗な奈落の底へ突き落とされる…

それ以上の罪を、わたしは知りません。

「泣き止まなかったから」  これが一番の理由にあげられるといいます。

 

子どもを乳母車に乗せ、近くの公園や川らに出かけてみませんか。

植物を眺め川のせせらぎを聴いていると…

「目いっぱい頑張らなくてもいいんだ。わたしのペースで、ゆっくりやっていけばいいんだ」

そういう「ゆとり」が芽生えてきます。ゆとりのあるお母さんの顔は、とっても穏やか…

そう、漫画天才バカボンのママのように…。

何をしても泣き止まなかった子どもは?といえば…うそのように泣かなくなります。

なぜなら子どもは、お腹が空いていたわけでも、オムツが汚れていたからでもなく、

辛そうなお母さん 苛立つお母さんが、可哀想で切なくて泣いていたのですから。

子どもの笑顔は、天使そのもの。嫌がおうにもお母さんは我が子を抱きしめたくなる…

こうして、恐ろしい連鎖から、倖せに満ちた連鎖へと変わってゆくー

素敵ですよね。

 

次回は、子どもの好き嫌いで悩むお母さんへのメッセージとして、わたしの子育て体験から

「おやつ」がキーマンになる、というお話をお届けしたいと思います。

 

 

 (*以前にも記載しましたが、このブログコーナーではお菓子の話題に限らず、

  季節のうつり変わりや、身近な出来事や想いを綴らせて戴いております。

  お菓子に関しては、新着情報にてご紹介していますので、そちらをご覧下さい)

 

 

 

    

 

 

 

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