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銀モクセイ
2012.10.04

  

庭に咲いた銀モクセイ。

花の香りを初秋の風にのせ、道行く人たちを優しく包んでいます。

 

金モクセイは、色が濃いオレンジの花をつけ強い香を放ちますが、

銀モクセイは、白に近い薄い色で可憐な香りをそっと放ちます。

風が強い日は、樹の下一面がまさに「花のじゅうたん」となり、美しいものです。

 

しかしー

良いことばかりではありません。

これでもか、と思うほど葉が落ち、日に何度もはかなくてはなりませんし、

翌日には茶色い色と化す花のじゅうたんを掃きとるのも、根気のいる掃除です。

あまりの大変さに、何度切ってしまおうか…と思ったことか。

でも、こうして花の咲く季節になり、道行く人たちの「うわ〜いい香り!」という声を聴くと、

そんな気持ちはすっかり陰をひそめ、にこにこしてしまうのです。

 

考えてみれば、この大きな樹ー

長いながい間、この家を、代々の家族を、そして数え切れない道行く多くの人々を…

見守り続けてきてくれた樹なのです。

大切にしなければ、バチがあたりますね。

落ち葉だって、好きで落ちてくるわけじゃなし…

新しい葉っぱに、次の命をたくして「ゆずり葉」となり我が身を捨てているー

そう思ったら、いじらしくさえなってきます。

 


ウスギモクセイ?

     はんなりと 香り放つや銀モクセイ 道ゆく人の笑に揺れたり

 

 

 

植物の力
2012.09.25

朝夕の風が、涼しいを通り越して肌寒いくらい。

一気に秋に突入してしまいましたね。

ここ数年、こうした季節の移り変わり・気温の変化が、著しく激しくなった気がします。

そうした温度差に対応するには、こまめに着るものを一枚羽織るなどの注意が大切です。

季節の変わり目に、体調を崩すといますからね。

しかし一方で、

こうした昼夜の温度差や、急激な季節の変わり目大歓迎!とするものもあります。

そう、紅葉です。

水不足になるほど日射しをたっぷり浴びた夏を想うと、

今年の紅葉の美しさは、じゅうぶん期待できそうですね。

 

 

最近は機会がなくなってしまいましたが、

紅葉に限らず森や林の中を散策するのが大好きです。

葉ずれの音を聴きながら、植物の発する精気を、胸いっぱいに吸い込む倖せ。

心がすっかり浄化され、じわ〜〜と癒されていくのがわかります。

鳥がさえずり、沼があって…耳を澄ませば水のせせらぎ・植物の囁く声が聴こえたなら…

もう、この上ない悦びに包まれてしまうー

 

 

以前にも書きましたが、心療内科が急激にふえていると聴きます。

病院のドアを開けるまえに、思いきって森林浴に出かけてみませんか?

植物たちが放つ、フィットンチッドと呼ばれる精気を胸いっぱい吸い込んでみてください。

お医者さんやお薬では癒すことのできない効果が、きっとあらわれるはず。

ふっと気がついた時にはあたたかく、たおやかに満ちてくるエネルギーが全身に沁み渡っているのを、

感じていただけるのではないでしょうか。

 

 

          

 

      

              

              

             

 

               植物の力、信じてみてませんか。

 

 

 

 

 

八合目の魅力
2012.09.15

 

 

突然ですがー

誰かとお話をしている時や、ご講義を拝聴させていただいている時、

思わず おおっ!! と叫んでしまいそうになる言葉に出逢うことはありませんか?

わたしは有難いことに、この数年そうした言葉に出逢うことが多くなりました。

先日も、声をおさえるのが大変なくらい、素晴らしい言葉に巡り逢いました。

それは、

        ー八合目のすごさー  

 

 え?何それ?という声が聴こえてきそうです(笑)

この言葉は、さまざまな事に例えることができます。

例えば、お茶の世界。

みなさんご存知の 千利休 は、究極な茶席を確立した人で有名ですね。

そのストイックさは、狂人とも呼ばれるほどの筋金入り。

山に例えるなら、鋭い山のテッペンに登りつめ、緊張感を持ち続けた人といえるかもません。

一方、 小堀遠州  という茶人は、その山の頂に登りつめたうえで…つまり究極までいった上で、

あえて八合目までおり、ゆったりとした世界観をつくった人。

ゆうなれば、八合目の文化 を作った人といえるかもしれません。

 達人 と呼ばれる方たちも、きっとこうした境地なのでしょう。

 

そして、良寛さま。

稀に見る愚図でノロマで気弱だった幼少時代を過ごしていましたが、やがて人間社会に渦巻く

ドロドロとした日常に耐えられず、世捨て人となって出家しました。

漢詩をはじめ歌を詠み、書も嗜む聡明な人でしたが、そのようなことは大したことにあらずとばかり、

高名な寺の僧侶となることも望まず、まるで愚図でノロマな自分を慈しむかのように、

人里離れた山奥にある五合庵で貧しい日々お送り、その孤独さえも愉しんで暮らしたのです。

きっと良寛は今、

山の頂ではなく、八合目あたりに浮かぶ雲の上で、ゆったりと自由に漂っていることでしょう。

 

 

 高い山の頂からの眺めはもちろん、言葉にできぬほどの美しさであるに違いありません。

しかし彼らは、八合目だからこそ観ることのできる美しさ、頂上から降り立った八合目でなければ

観ることのできない境地を、知っていたのではないでしょうか。

現代におきかえるなら、

多くの人に出逢い、多くの本を読み、多くの知識・考えを学び、多くの芸術・文化にふれてー

そうやって自分自身を磨き、分厚くしていってこそはじめて、その頂の下にある八合目の雲の上で、

愉快で倖せな日々を送れるようになるのだと、朧気ながらも感じることができたのでした。

 

 

P8160324.jpg


 頂上からでさえ味わうことのできない、八合目からの景色、

 きっと、えも言われぬ絶景でありましょう。

   


 

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