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御菓子司『松屋』トップページブログ『季のおとずれ』
無常
2013.04.10

 

  静かに茶道口の戸が開く。

 

  一枝の糸桜を持った利休は、一礼して床の間に進み、用意された花入れに入れた。

 

  枝ぶりの向きを変えようと手をふれる度、桜はハラりと散る。

 

  戦場に赴く武将たちを集めての茶会。皆たまりかねて「散りて候」と叫んだ。

 

  「散ればこそ、散ればこそ」利休は思い入れ深く答えたという。

 

 

散る桜を生け、出陣のはなむけとした利休の心が、今わたしの心にゆっくりと沁みてくる。

 

盛り久しき花を好まず、露の間の命の露草や、昼にはしぼむ朝顔を愛した利休。

 

はかない花の命の上にわが命を重ね、一期一会の言の葉を噛みしめられるも、

 

無常なればこそではあるまいか。

 

死を見すえる目が深いほど、今日一日いただくことができた命の重さを知り、

 

その命をどう生きるべきかが、おのずから見えてくるものではないだろうか。

 

 

無常観、その生きざまが、桜を愛する日本人の心や文化の底流となっているのではー

 

ふっとそんなことを想いながら、わずかに与えられた数分間、

 

はらはらと散りゆく花びらに、わたしはさまざまな想いを馳せていた。

 

 

 

      散ればこそ そのはかなさよ 愛しけれ

 

 

            

          

 

 

 

 

     

拈華微笑
2013.04.05

 

4月8日は花祭り、お釈迦さまの誕生日です。

 

お釈迦さま…と、口にするだだけでとても身近に感じるのは、亡き祖母からお釈迦さまの話をたくさん聴

 

いて育ったからでしょうか。

 

中でも 拈華微笑 の話は、数年まえに鮮やかに甦り、現在私の座右の銘になっています。

 

 

 「昔むかし、お釈迦さまが大勢の弟子たちの前で法座をひらかれた。

 

 ところがなぁ、待てどくらせどお釈迦さまはお話をなさらん。

 

 みな不思議に思っていると、一輪の花を手にとりスーッと差し出され、にっこりと微笑まれた。

 

 意味がわからず、し〜んと静まり返ったその時、一人の弟子がにっこりと微笑み返し、

 

 お釈迦さまの教えに応えることができたんじゃ。

 

 世の中にはな、言葉では伝えきれんこともあるんじゃ。それが大切であればあるほど言葉にできないっ

 

 てことが、な。きっとお釈迦さまは、言葉にはできんが大切なことゆえ、どうかわかっておくれ…

 

 というお気持ちだったのじゃろうなぁ」

 

 

大勢の弟子の中でただ一人、お釈迦さまに微笑み返したのは、摩訶迦葉(まかかしょう)。

 

お釈迦さまは静かに語りました。

 

 「悟りに導く、真実絶対なる法門がある。この法門は言葉によらず、文字によっても教えられない

 

 微妙な法門である。この、我が真実なる法の一切を、摩訶迦葉に伝授する」

 

 

そうした言い伝えや、祖母の話のみならず、祖母が丹精込めて育てた花を、道行く人が求めれば

 

惜しげもなくそれを自らの手で摘み、差し出していた姿…そのすべてが重なった時、

 

わたしは深い感動で胸がいっぱいになりました。

 

 

言葉を並べなくも、そっと花を差しだしニッコリ微笑む。

 

そこから心と心の交流が生まれたなら、どんなに素敵なことだろうー

 

わたしはあらためてそう思い、座右の銘にしたのでした。

 

ですから4月8日は、お釈迦さまの教えと祖母を偲ぶことのできる、大切な日なのです。

 

 

 

 

   お釈迦さま その誕生を祝うとき  微笑む祖母の 姿み胸に

 

 

      

       

 

 

 

 

防空ごう
2013.04.03

     

 

幼いころ、夜になると停電することがよくありました。

 

ロウソクの灯りはやさしくて、皆が小さく肩寄せ合うことが嬉しかったからでしょうか、

 

わたしは停電が嫌いではありませんでした。

 

しかし、叔母は「仕事にならなくて困るわ」とつい愚痴ります。

 

そんな娘に、祖母はいいました。

 

「な〜んも。停電になったとて爆弾が落ちてくるでなし。防空頭巾もかぶらず、防空壕に入らず

 

済むんじゃぞ。こうしてわれらが平和に生きちょるのは、先人の方々のおかげじゃて、のぅ」

 

 

いま、わたしたちはいかに倖せであるかを、つい忘れがちです。

 

どれほど多くの尊い命の上にいまがあるという、そのことをー

 

祖母が生きていた時は、戦時中のことをたくさん聞かされました。それは、とても貴重であり

 

大切な話であったと思い知らされます。

 

食べ物ひとつとっても、その一つひとつの命に感謝して「いただきます」と手を合わせる前に、

 

まずはお国のため・のこされた家族のためにと戦った、先人たちへの感謝がありました。

 

今思うと、それはとてつもなく大きいと感じています。

 

それさえ心に刻み続けておれば、今のような日本を悪者にとしたてあげられた国になど、

 

なってはいなかったと思うからです。

 

多くの外国人が絶賛した誇るべき素晴らしい日本人の名を、歴史の教科書に載せない国になど

 

決してなってはいなかった… 

 

祖母の言葉、祖母の教えこそ、いまこの時代に必要な気がしてならないのです。

 

   

    

      

      防空ごう 防空頭巾 その影に 戦いぬいた 勇姿忘れむ

   

     

   

     

 

  

   

     

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