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ブータンの笑顔
2013.05.04

 

インドと中国に挟まれた、日本の九州ほどの大きさの国・ブータン。

 

広がる稲田、抜けるような青空。

 

家族を慈しみ、友を尊ぶあたたかな心根。

 

自給自足、分かち合いの生活。

 

そんな暮らしには、燦々と輝くような幸福感に満ち溢れている。

 

それは、下の写真からも充分伝っってくる。

 

ブータン国王夫妻が来日され、さまざまな報道がなされた。

 

その風土や国民性に、かつての日本を重ね合わせて郷愁を覚える日本人も多いはず。

 

日本が経済成長と引き換えに失ってしまった文化や精神、そして風景。

 

 

 

簡素な生き方を貧しいと見るか、モノにあふれた生活を豊かと見るか、

 

そして、何がほんとうの倖せなのか・・・

 

見方はそれぞれかもしれない。

 

しかし、仏の教えとともに人々が暮らし、国民の多くが「倖せ」を実感しているブータン王国は、

 

その答えをわたしたちに教えてくれている気がする。

 

 

   心から笑えることの倖せ、その素晴らしさをー

 

 

 


     

 

 

 

 

雑草という言葉を、終生使わなかった二人
2013.04.24

  

時を忘れることー   わたしは最近、この言葉に救われている。

 

忙しい日々の中では、仕事を終えた後お月さまやお星さまはいつまででも眺めていられても、

 

おひさまの光を浴び、自然にふれることができない。それがとても寂しかった。

 

そんな時に出逢った、千佳慕さんの言葉。

   

   少しでもいい、時を忘れる。

   

   例えば仕事中、美しいものに出逢った時など。

   

   今の時の一期一会のすばらしい連続であるように。

 

その言葉は、ゆっくり、じんわり沁みてきて、わたしの心を潤してくれる。

 

そして、ふっと思った。 

 

     千佳慕さんって、良寛みたいだ。

 

 

熊田千佳慕さんは、亡くなる98歳まで現役でプチ・ファーブルと呼ばれ、

 

虫や花を愛し描き続けた細密画家。

 

「私は虫である」という千佳慕さんの言葉どうり、その絵は虫になりきらなければ、

 

きっと描くことは難しいと思われるような、そんな絵ばかり。

 

良寛の書も同じ。風になり、雲になりきらなければ書けない線を書いた。

 

たとえ一本たりとも良寛でなければ書けない線。

 

一本の線にとおっている神経の細さ、鋭さ、つよさ、そして何とも愉しげなリズム。

 

しかもそれが、変転自在に流れ動いてゆく・・・

 

おおらかな中にも、そうした神経の細かい飄々とした要素を含む書は、

 

深い人間性がなければ書けないと思う。

 

そして何より、二人の大きな共通点は、作為というものが微塵も感じられないことだ。

 

  

   形見とて なにを残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉

 

良寛の形見の歌といわれる、晩年のこの歌にも、微塵の作為も感じられない。

 

 

自然を愛し、貧乏を愛し、淡々と自分の信じた道を歩み続けた二人。

 

あらゆる命を尊び、己の人生をまっとうした二人は、きっと今も穏やかな笑顔で、

 

微笑んでいることだろう。

 

 

 

 

   草はらに 語りかけるや 千佳慕虫

 

      

 

 

 

 

稲村の火
2013.01.01

   

 ご存知の方も多いと思いますが、意外にも知らない方も多い - 稲村の火 -

 

ある村の庄屋さんが、襲い来る津波から全ての村人を救った、 実話に基づき作られたお話です。

 

昔の国語の教科書には、必ず載せてあったこの素晴らしい物語が、戦後消えてしまいました。

 

しかし、消えてしまったのは、それだけではありません。

 

日本は、多くの外国人(敵国・アメリカ人でさえも)が絶賛した日本人としての生きざま・その精神性、

 

そして気高き 誇り まで、まるで津波にさらわれてしまったように、無くしてしまったのです。

 

多くの先人たちが持っていた知恵、勇気、潔さ。 そうしたものが凝縮されている -稲村の火- を、

 

今・この時読まずしていつ読むというのかー  そう言い切れる本だと思っています。

 

特にリーダーシップを必要とする人には、何にも勝る一冊であると。    

 

まだお読みでない方は、是非ともお読み戴ければと思います。

 

こうしたお話など小さな事でも、それを機に日本人のあるべき姿・精神が甦えることを祈るばかりです。

 

 

地震も頻繁におきているということからも、非常時の際の一助になれたなら…倖せです。

 

 

     -稲むらの火- 

 

「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。

今の地震は、別に烈しいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、

うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。 

五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。

村では豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付いていない。 

村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。

風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。

「大変だ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。このままにしておいたら、四百の命が、

村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。

「よし」と叫んで、家に駆け込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。

そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んであった。

「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。

こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。

まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。

日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。

山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、

急いで山手へ駆け出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うように駆け出した。 

高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。

やっと二十人程の若者が、かけ上がってきた。彼等は、すぐ火を消しにかかろうとする。

五兵衛は大声で言った。「うっちゃっておけ。ーー大変だ。村中の人に来てもらうんだ」  

村中の人が集まってきた。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。

集まってきた人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見比べた。

その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。「見ろ。やってきたぞ!」

たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指差す方向を一同は見た。

遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。

非常な速さで押し寄せてきた。「津波だ」と、誰かが叫んだ。

海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、

百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。

人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。人々は、自分などの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。

二度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。

一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。

稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。

 はじめて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと…

無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。

 

  

 追記:嬉しいことに、このお話は一部の教科書に再び取り上げられるようになりました。

 

こうした素晴らしい先人たちの逸話を多くの教科書に掲載し、子どもたちに伝えていきたい。

 

「日本には、こんなにも素晴らしい人がたくさんいたのよ。日本人ってすごいのよ」とー

 

 

 

           気高くも 美しきかな 稲村の その火ふたたび 灯さんや今

 

               

 

 

 

                                           

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