• 栃木県栃木市の御菓子司、創業延宝元年『松屋』
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ちいさな倖せ
2015.09.22
  3.11の時の映像を彷彿させるような先日の大雨による水害で、
当店にも50センチ近い泥水が浸水し後片付けに追われました。
幸いにも自宅は無事でしたが、市内のあちらこちらに畳が立てかけられ、
水害の爪痕を残していました。
被災された多くの方々へ、心よりお見舞い申し上げます。


厳しい暑さもどこへやら…
瞬く間に時はすぎ、はやお月さまを愛でる季となりました。
実りの秋、食欲の秋、スポーツの秋…
秋がつく言葉はとても多く使われますね。
読書の秋もその一つ。
秋の夜長、虫の音を聞きながらの読書は格別です。
わたしの拙い本たちも、多くの方々に読んで戴いているようで、
ほんとうに有難く思います。
そんな中「ちいさな祈り」に続き、2冊めの「小さなともしび」が、
予定通り点字本として誕生することになりました。
「ちいさな祈り」を読まれた方々からの反響が大きく、
「小さなともしび」も是非!という県への問い合わせも多くあり、
実現するようになったようです。

たった一人でもいい。
読む人の心癒す本となれたなら…と出版した2冊の本。
その想いが通じたのだとおもうと、嬉しくて有難くて。。
また頑張らなきゃ!と、心を奮い立たせてくれた朗報でした。
点字本が出来上がるまでには、たくさんの人々のご苦労があると聞きます。
この場をお借りして、心より感謝申し上げます。


秋の夜  開くページに ひと粒の 落つる涙の あたたかき




       



怒涛の一ヶ月
2015.04.04
時の流れのはやさには驚くばかり…
ふと気がつけば、さくら満開の季節となりました。

この一ヶ月は、まさに怒涛の日々。
しかしその中でわたしは、様々なことを学ぶことができました。
このブログを読んで戴いている皆さまに、お役に立てる一助となるかもしれない…
そう感じましたので、以下は体験談として読んで戴ければ倖いです。

Facebookをご覧戴いている方はご存知だと思いますが、 
わたしは今、松屋の仕事をしながら小山市にある会社をお手伝いしています。
その会社の社長さんは、五年前に心筋梗塞を患って一命をとりとめたものの、 
三年前に、次期社長になるはずの30代の息子さんを突然失いました。
出張先で、朝起きたら亡くなっていたのです(やはり心臓のようです)。
さらには、最後の望みとしていたお孫さんも、
お嫁さんが実家に帰る事により断たれてしまいました。

これからどうしたらよいのだろう…

苦悩の日々を送られている中、
息子さんの一周忌の引き物をご注文戴いたのがご縁となり、
時々会社に訪問したり、夕食をご一緒したりしながら、
様々な悩みを聞いたり、ご相談を受けたりしてきました。
そしてある日、非常勤で良いから会社の役員として手伝って戴けないか…
と依頼され、私ごときに何ができるかわかりませんが、お役に立てるのであれば…
と、依頼を受けたのです。
そして次期社長として、会社を定年された方に専務として入社して戴きました。
その方は、偉大なる父をもつ息子さんが、自分が社長となる前に、
その人を社長として迎い入れ、その間社長としての自信をつけていきたいからと、
父である社長に頼んだ人でした。
社長がそれを快諾された五日後に、息子さんは亡くなります。
まるで遺言のような形になり、社長はその方を専務として迎い入れました。
社長はその方に、これからは鈴木由紀さんと上海の支店の李さんと三人で、
わたしの意志を継いで、会社を存続して下さいと頭を下げました。

それから約半年が経ちました。
誠実だったその専務が、日に日に変わって行ったのです。
会社を辞めたくない一人の年配者が、専務に取り入って、
様々な手をつかい、専務を祭り上げ、わたしだけならいざ知らず、
あろうことか社長までも早急に退いて、
専務を社長にするべくこうさくを始めました。

ある日、それが明るみに出ます。
社長は、専務をクビにすることを決断しました。
それは、とても辛く悲しい決断でした。
どんなに祭り上げられようと、
社長が最初に頭を下げ、どんな事があってもブレずに、
小欲に惑わされず王道を行って欲しい…
その思いを忘れてはならなかった。

誰にだって、私欲はあります。
ない人なんていません。
しかし、決してブレてはいけない事がある。
信頼というのは、心から信じているからこそ頼りとするもの…
それを裏切ることは、人として失格でありましょう。

人を雇う立場の方は、やはりしっかりとその人となりみて、
熟慮した上で選ぶことが大切であると痛感しました。

社内の多くの若い社員たちも、そのこうさくをくわだてた年配の上司に、
楽をして要領よく立ちまわる術を教え込まれ、
魂までもがフヌケとなっているのが現状です。
けれど今回のことで、悪だくみは最後にはあばかれるー
そう、骨身に沁みたはず。

お天道さまはみている

この言葉を噛み締めて戴きたい気持ちでいっぱいです。
新たに、社長の長年の親友的人物が入社される事になりました。
その人と共に、裸一貫一代で年商25億の会社を築き上げた社長のために、
相手から信頼される、より良い会社を目指していきたいと思います。
そのためには自ら率先して仕事をし、情熱を注いでいかなければ…
そう胸に刻んだ一ヶ月でした。
 

         



故郷を偲びて
2015.01.25

會津若松は、わたしの誇るべき故郷です。
辛抱強く人情味溢れる人々が暮らす街です。
しかし驚くことに、
ネット上では會津を批判しおとしめるような、
記事やコメントが多く見られます。
あろうことか、それを信じて卑下する會津人さえいます。
どういう思考回路で、あのような浅はかで
無礼極まりない言葉を綴るのでしょう。
キチンとした日本の歴史も知らずして、
會津の人々の心の奥底のこる傷を知らずして、
何を言っているのか!と、呆れかえるばかりです。
特に戊辰戦争で行われた事実を、
慰安婦問題とごちゃ混ぜにして、
韓国人同様のウソのかたまりとまで罵るとは…。
相手が誰だかわかれば、わたしは名誉棄損で訴え、
真実を突きつけ、詫びて戴きたい気持ちです。

城下の戦いで略奪を欲しいままにし、
婦女暴行をしたあげくに惨殺した事実。
戦闘で死んだ者の埋葬を禁じ、
腐敗するまま、カラスについばまれるままにした事実。
これは嘘偽りない、武士にあるまじき行為でした。
その原因は、もともと士分ではない者が、
新政府軍に参戦したことにより、
横暴に歯止めがきかなかったことにあります。
しかも首脳陣がそれを許容したが故、
非道がまかり通ったのです。
(とはいえ、すべての人が非道だったわけではありません。 
のちに會津人を妻にした大山巌などは、 
慈悲深い温情を持って、會津に接したと言われています)

會津藩はその後、
不毛地・斗南の地へ流されます。
米も草さえも育たない、シベリヤのような極寒の地…
病死者・餓死者が続出しました。
それを支持したのは、長州の木戸孝允でした。

そもそも恭順を示した會津に、
無理難題を押しつけたのも長州です。
孝明天皇に発砲して、朝敵と名指しされたのも長州。
岩倉具視と謀って、孝明天皇を毒殺したのも長州。
倒幕の密勅を偽造したのも長州。
京都で攘夷派の志士を殺された恨みがあったとしても、
元を正せば自分の撒いた種ではありませんか。

火中の栗を拾うような、誰もが嫌がり引き受けなかった
京都守護職を強いられたにも拘らず、
黙って勅命と幕命に従った會津。
だからこそ、孝明天皇から絶大なる信頼を受けたのです。
その會津を恨むなど、まさにお門違い。 
會津は賊軍にあらず。
會津藩主・松平容保が死ぬまで肌身離さず、
身につけていた孝明天皇の御宸翰、 
これこそが動かぬ証拠です。
水戸黄門の印籠のようにそれを振りかざせば、
戦況は変わっていたかもしれません。
しかし、容保はそれをしませんでした。
そして死ぬまで言い訳をせず、
最期まで孝明天皇への忠義を全うしたのです。

牙を抜かれ冠を奪われた會津は、
武力以外のところで奮励努力をし、
教育者として多くの人々が功績を残しました。

長州は国を作ったとするならば、
會津は、人をつくったと言えましょう。

會津が受けたあまりにも非条理な扱い、
それを含めキチンとした歴史を知った上で、
長州は少しでも會津へ詫びる気持ちを抱き、
會津は、過去を水に流す努力をし、

すべての人は、国のためを思って生きた。
どちらの存在なくしても、今の世はない。

お互いが相手を思いやる気持ちをもつことが、
大切ではないかと感じています。


   汚れなき  ましろき雪に古の 愚直に生きた 人を偲ばむ