以前、本の表紙にしたいので、書で円を書いて欲しいという依頼をうけた際、
わたしは「円」という言の葉の意味を、あらためて考えさせられました。
紙に筆をおろし筆をひけば、そこにはたしかに始まりと終わりはあるけれど、
その線は、繋がっている…
それに気づいた時、古の人々への想いで胸がいっぱいになり、
綿々と繋がれてきたことの尊さ、有り難さを痛感したのです。
その時の想いが再び甦ったのは、台湾在住の老夫婦との出逢いでした。
半年前から人事・社員育成等を依頼されている会社の関係で、中国に行った時のこと。
取引先の工場の視察やビジネスを終え、
台湾人が経営する会社の落成式のパーティーの席で逢ったのが、その老夫婦でした。
温和な物腰、優しい瞳をしたお二人とわたしは、すぐに仲良しになりました。
日本人の日本語よりも素晴らしい日本語を話されるので、
どこで日本語を学ばれましたかと尋ねると、日本人の教師から学んだとー
1895年、日本は台湾総督府を設置し、植民地統治を開始しました。
児玉源太郎総督のもとで、後藤新平が民政長官に就任し、
土地改革、ライフラインの整備、アヘン中毒患者の撲滅、製糖業などの産業の育成、
そして学校教育の普及に尽力を注ぎました。
その学校教育に携わった教師こそが、何にも勝る恩人であったと、
老夫婦は、目に涙しながら語ってくれたのです。
・自国の言葉をキチンと覚えましょう。
・自国の歴史をしっかり知りましょう。
・自国の文化を大切にしましょう。
日本は、日本の教師は、台湾人を日本の支配下におくどころか、
台湾という自国を愛しなさい、と説いたのです。
だからこそ、いまの台湾がある。
だからこそ、誇りを失わずに生きてこれたと、彼らは語りました。
わたしの脳裏には、教師を務めた亡き祖母の顔が浮かびました。
古の日本人は、そして教師は、かくも気高い心をもっていたのだと、
あらためて祖母をはじめ先人たちの素晴らしさに感動し、涙がこぼれました。
そんなわたしを老夫婦はかわるがわる抱きしめ、
わたしたちは日本と台湾に乾杯し、色んなことを語り合いました。
その後、会場近くにあった川のほとりを散歩した時です。
♪お手てつないで 野道をゆけば~
と、日本の唱歌を歌いだすではありませんか!
わたしも一緒になって歌うと、彼らは次々と懐かしい歌を唄い、
「古い歌で 宵待草 という歌があるが、お若いからご存知ないでしょう?」と。
わたしが知っていますと答えると、顔を輝かせ悦び、一緒に口ずさみました。
別れ際、
「あなた、今日はステキな日本人に逢えて良かったわね。
大好きな歌をたくさん歌えて、嬉しかったわね」と、
おばあさんはおじいさんに言い、わたしの手を握ると、
「ありがとう、ありがとう」と何度も、何度も…
この体験を、良き思い出で終わらせてはならないー
そんな気持ちがフツフツとわいてきたのは、帰りの飛行機の中でした。
日本は、ほんとうに素晴らしい国だったんだ!
日本人は、類まれなる誇るべき民族だったんだ!
このことを伝えずに、この世を去るわけにはいかないと思いました。
とはいえ、わたしにできることはちっぽけなことかもしれない。
でも、それは必ず次の時代に繋がる一雫にはなるはず。
今取り組んでいる小説の中に、その一雫を投じたいと思います。
円は、どこまでも、いつまでも、繋がっていくのだと信じて…