とうとう、雪が降ってきました。
雪が降って悦ぶのは、
子どもたちと、仔犬と、スキーヤーくらいかもしれませんね(笑)。
ほとんどの人にとって、雪はとても厄介です。交通は乱れるし、片づけも大変。
では、なにゆえ「雪は天からの贈りもの」などという言葉が生まれたのでしょう。
いくつかの理由があるかもしれませんが、
わたしは乾燥地方にとって雪ほどありがたいものはないから、と思います。
雪は、天然の「ダム」になるのです。
大きなブナの木の森は、
葉を広げた木そのものと地上に積もらせた落葉と腐植土のおかげで、
ブナの木1本で数トンの水を保水する「自然のダム」をつくります。
だから真夏、たとえ数週間に一滴も雨が降らなくとも、山からは清水が流れ、川は枯れません。
山によっては、水筒を持たなくても飲み水に不自由しない所があるくらい。
一方、乾燥地ではこの森がないので、
長期間雨が降らなければ草は枯れ、草食動物も生きられず大量死してしまいます。
しかし、高い山が背後にあればそれがダムになり、いつも山から恵みの水が流れてきます。
たとえ年間降水量300ミリ程度の乾燥地でも、
ある程度の標高のある山岳地なら降った雨は、雪になります。
雪は雨と違って、すぐに流れ去っていかず、大地に張り付いてくれる。
だから「ダム」なのです。
そこが太陽の当たらない北側(南半球なら南側)であれば、雪は雪渓となってずっと残る。
そして雪渓の末端で少しずつ溶け、川となって下流を潤します。
首都圏だって、この雪の恵みを大いに受けています。
例えば群馬県北部の山岳地帯の降雪がおかげで、
利根川は古来から豊富な水量に恵まれました。
江戸の水運の要となったし、
この豊富な水で、酒や醤油の醸造業が利根川下流で栄えたのですから、
何とも有難いこ雪の恵みではありませんか。
つまり冬に雪が少ないと、その夏の利根川の水量は減り、渇水を引き起こします。
梅雨期に雨に恵まれなくとも、群馬県北部の冬が豪雪でありさうすれば、
水の不安は少ないのです。
それを思ったら、少しは雪も愛おしく感じてもらえるのでさはないでしょうか(*^^*)
雪は天からの贈りもの。
祖父はそうした想いを抱いて、わたしの名をつけたのではないか…
ふっとそんなことを思いながら、舞い落ちる雪を眺めています。
(写真は祖父母が愛してやまなかった東山温泉の老舗宿「向瀧」