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雑草という言葉を、終生使わなかった二人

松屋から、四季折々の情景をお伝えします。

雑草という言葉を、終生使わなかった二人
2013年4月24日

時を忘れることー   わたしは最近、この言葉に救われている。
忙しい日々の中では、仕事を終えた後お月さまやお星さまはいつまででも眺めていられても、
おひさまの光を浴び、自然にふれることができない。それがとても寂しかった。
そんな時に出逢った、千佳慕さんの言葉。

 

   少しでもいい、時を忘れる。
   例えば仕事中、美しいものに出逢った時など。
   今の時の一期一会のすばらしい連続であるように。

 

その言葉は、ゆっくり、じんわり沁みてきて、わたしの心を潤してくれる。
そして、ふっと思った。 

 

     千佳慕さんって、良寛みたいだ。

 

熊田千佳慕さんは、亡くなる98歳まで現役でプチ・ファーブルと呼ばれ、
虫や花を愛し描き続けた細密画家。
「私は虫である」という千佳慕さんの言葉どうり、その絵は虫になりきらなければ、
きっと描くことは難しいと思われるような、そんな絵ばかり。
良寛の書も同じ。風になり、雲になりきらなければ書けない線を書いた。
たとえ一本たりとも良寛でなければ書けない線。
一本の線にとおっている神経の細さ、鋭さ、つよさ、そして何とも愉しげなリズム。
しかもそれが、変転自在に流れ動いてゆく・・・
おおらかな中にも、そうした神経の細かい飄々とした要素を含む書は、
深い人間性がなければ書けないと思う。

 

そして何より、二人の大きな共通点は、作為というものが微塵も感じられないことだ。

   形見とて なにを残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉

良寛の形見の歌といわれる、晩年のこの歌にも、微塵の作為も感じられない。
自然を愛し、貧乏を愛し、淡々と自分の信じた道を歩み続けた二人。
あらゆる命を尊び、己の人生をまっとうした二人は、きっと今も穏やかな笑顔で、
微笑んでいることだろう。

 

   草はらに 語りかけるや 千佳慕虫

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