無常
2013年4月10日

静かに茶道口の戸が開く。
一枝の糸桜を持った利休は、一礼して床の間に進み、用意された花入れに入れた。
枝ぶりの向きを変えようと手をふれる度、桜はハラりと散る。
戦場に赴く武将たちを集めての茶会。皆たまりかねて「散りて候」と叫んだ。
「散ればこそ、散ればこそ」利休は思い入れ深く答えたという。
散る桜を生け、出陣のはなむけとした利休の心が、今わたしの心にゆっくりと沁みてくる。
盛り久しき花を好まず、露の間の命の露草や、昼にはしぼむ朝顔を愛した利休。
はかない花の命の上にわが命を重ね、一期一会の言の葉を噛みしめられるも、
無常なればこそではあるまいか。
死を見すえる目が深いほど、今日一日いただくことができた命の重さを知り、
その命をどう生きるべきかが、おのずから見えてくるものではないだろうか。

 

無常観、その生きざまが、桜を愛する日本人の心や文化の底流となっているのではー
ふっとそんなことを想いながら、わずかに与えられた数分間、
はらはらと散りゆく花びらに、わたしはさまざまな想いを馳せていた。

 

      散ればこそ そのはかなさよ 愛しけれ

 

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