早春という言葉がすきでした。
雪国に生まれ育ったわたしにとって、「春」とは特別な季節。
早春という言の葉の響きは、心を灯すやわらかな光となって、きらきらと輝いていたものです。
思えば早春に咲く花は、不思議なくらい黄色ばかり。
すいせん、マンサク、福寿草… 中でも「あたたかな春」を感じる菜の花。
いまこそ心に鳴らしたいと思う唱歌は、「朧月夜」
菜の花畑に入り日薄れ 見わたす山の端かすみ深し
春風そよふく空を見れば 夕月かかりてにおい淡し
里わの火影も森の色も 田中の小径をたどる人も
かわずの鳴く音(ね)も鐘の音も さながら霞める おぼろ月夜
ふるさとに降り注ぐ、春の日差し。
田畑がひろがり、霞のかかった山の端に夕日がさして、やがてゆっくりと暮れてゆく。
美しい国、日本の風景を再現しているのが唱歌ではないでしょうか。
四季を繊細に感じとれる、日本人ならではの美しい言の葉。
その中に、自然をたたえ、生物を慈しむ心なくば、決して生まれることはなかった言の葉です。
ひるがえって今、花曇りと呼ばれた空を黄砂やPM2.5や花粉が飛び交い、
早春は、愉しむ季節から警戒する季節と化してしまいました。
人間が長きにわたり自然を犯してきたツケを、わたしたちは重く受け取らなくてはなりません。
少なくとも、次の世代に残したくはないと思うのです。
残してあげるべきは、唱歌の中にあるような風景…美しい日の本の姿。
いちめんに咲く菜の花畑に蝶が舞うー これが早春の風景だよって言えるようにー
美しきこの国憂うかなしみや 澄しあの日の唱歌浮かびぬ