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目を覚ますとき

松屋から、四季折々の情景をお伝えします。

目を覚ますとき
2013年1月29日

今は亡き祖父母は、どちらも教師をしていました。
長生きした祖母は、亡くなるまで…いえ、亡きあともなお、多くの教え子に慕われていました。
祖母が教師になって間もないころ、貧しくて鉛筆さえも買えない生徒がいました。
祖母はその子の机の引き出しに、きれいに削った鉛筆3本を、人知れずそっと入れていました。
それは、その生徒が卒業するまでずっと続けられました。

 

卒業式の朝ー
少年は目にいっぱいの涙をため、祖母に深々と頭を下げ、言いました。
「先生!先生のお陰で僕は卒業することができました。ありがとうございました」

 

お陰…。

 

そう、少年は鉛筆をありがとうと頭を下げたわけではなく、
誰にもわからぬよう、陰で支え続けた祖母の、その真心に頭をさげたのでしょう。 

祖父は、早くに亡くなりましたが、その姿・微笑みは今もくっきりと憶えています。
校長職を定年退職した祖父は、まるで寺子屋のように自宅を開放して、
子どもたちに書道を教えていました。
貧しい子も、裕福な子も分け隔てはしませんでした。
もちろん、お金なんていただきません。その代わり、両親や祖父母たちが「食べてくなんしょ」
と持ってくるお米や野菜は有難く頂戴し、それらが食卓にのぼると「これは○○くんの両親が、
汗水たらして育てたお米だ。有難いのぅ」と必ずそれらにお辞儀をして食しました。

 

また、鶴ヶ城近くの武徳殿でも、祖父は無償で中学・高校生に弓道の指導をしていました。
いつも柔和な祖父の、凛としたたたずまい・キリリとした姿に驚き、幼心にも誇らしく思え、
「おおきくなったら、じいじに弓を習う!」と胸に刻んだのが昨日のように想い出されます。
しかし、脳溢血を患い、わたしが小学2年になるのを待たずに祖父は他界し、わたしの夢は
儚く消えてしまいました。

 

ところが何十年も経った今になっても、どうやら弓道への想いだけは消えていません。
祖父は亡くなっても、祖父の魂はわたしの中に生き続けているからかもしれませんね。

 

さて、では祖父や祖母は特別の教師だったのでしょうか。
いいえ。教師とは本来そうした存在でした。
親・子ども・教師、この信頼関係は実に素晴らしいものであり、揺るぎないものでした。
いつの間にその関係が破綻してしまったのでしょうか。
なにがどうなって、近頃のような虚しいニュースが飛び交うようになってしまったのでしょうか。
一番の大きな原因は、先生を敬い・信頼し・育てる父兄がいなくなってしまったから…
と、わたしは思います。

 

大人はみな、教師を「先生さま」と呼んでいました。
子どもや孫が先生に殴られたと聴けば、子や孫を戒めしかりました。
それほど信頼してもらっていた教師の胸中はどうでしょう。
「有難いことだ。もっともっと愛される教師になろう!」と想ったに違いありません。
聴けば今、生徒が教師の評価をしてはどうかー  という話し合いがされているといいます。

そろそろ目を覚ましませんか。
いにしえの人々の生活を、精神を、その生き方を、想い出してみませんか。

わたしは今、弓道への入門を秘かに企んで(笑)います。

 

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