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八合目の魅力
2012年9月15日

突然ですがー
誰かとお話をしている時や、ご講義を拝聴させていただいている時、
思わず おおっ!! と叫んでしまいそうになる言葉に出逢うことはありませんか?
わたしは有難いことに、この数年そうした言葉に出逢うことが多くなりました。
先日も、声をおさえるのが大変なくらい、素晴らしい言葉に巡り逢いました。

 

それは、
ー八合目のすごさー  

 

え?何それ?という声が聴こえてきそうです(笑)
この言葉は、さまざまな事に例えることができます。

 

例えば、お茶の世界。
みなさんご存知の 千利休 は、究極な茶席を確立した人で有名ですね。
そのストイックさは、狂人とも呼ばれるほどの筋金入り。
山に例えるなら、鋭い山のテッペンに登りつめ、緊張感を持ち続けた人といえるかもません。

 

一方、 小堀遠州  という茶人は、その山の頂に登りつめたうえで…つまり究極までいった上で、
あえて八合目までおり、ゆったりとした世界観をつくった人。
ゆうなれば、八合目の文化 を作った人といえるかもしれません。
達人 と呼ばれる方たちも、きっとこうした境地なのでしょう。

 

そして、良寛さま。
稀に見る愚図でノロマで気弱だった幼少時代を過ごしていましたが、やがて人間社会に渦巻く
ドロドロとした日常に耐えられず、世捨て人となって出家しました。
漢詩をはじめ歌を詠み、書も嗜む聡明な人でしたが、そのようなことは大したことにあらずとばかり、
高名な寺の僧侶となることも望まず、まるで愚図でノロマな自分を慈しむかのように、
人里離れた山奥にある五合庵で貧しい日々お送り、その孤独さえも愉しんで暮らしたのです。
きっと良寛は今、
山の頂ではなく、八合目あたりに浮かぶ雲の上で、ゆったりと自由に漂っていることでしょう。

高い山の頂からの眺めはもちろん、言葉にできぬほどの美しさであるに違いありません。
しかし彼らは、八合目だからこそ観ることのできる美しさ、頂上から降り立った八合目でなければ
観ることのできない境地を、知っていたのではないでしょうか。

 

現代におきかえるなら、
多くの人に出逢い、多くの本を読み、多くの知識・考えを学び、多くの芸術・文化にふれてー
そうやって自分自身を磨き、分厚くしていってこそはじめて、その頂の下にある八合目の雲の上で、
愉快で倖せな日々を送れるようになるのだと、朧気ながらも感じることができたのでした。

頂上からでさえ味わうことのできない、八合目からの景色、
きっと、えも言われぬ絶景でありましょう。

 

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