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絶望のとなりには、希望

松屋から、四季折々の情景をお伝えします。

絶望のとなりには、希望
2012年8月19日

長い人生の中、人はみな幾多の困難に出会います。
苦しみ・悲しみに打ちひしがれ、絶望の中を漂い彷徨うこともあるでしょう。
そうした時…哀しいかな人は、自信も勇気もすっかり無くして、落ち込みます。
しかし、そこから先の気持ちがどの方向に傾くかで、運命は大きく変わる…と感じています。

 

    ただただ、絶望という巨大な壁だけを見つめる人
    ふっと見ると、その隣に 希望 という名の光が微かにでも感じることができる人

 

そもそも、「絶望」という字のもとの意味は、織物を織ろうとしていた糸をたつ、
あるいは糸が切れてしまうこと。
ですから一般的には、自分の未来へとつながる糸が切れる…つまり望みが絶たれてしまう
ことを「絶望」と呼んでいます。
ところがー
「絶」という字にはもう一つ、色糸の意味があって、絶妙・絶景のように「このうえもなく」という
意味があるのです。
つまり、絶望の淵に立つことは、明日への望みが絶たれるようにみえて、実は…
心がこの上もなく成長する転機になりうる可能性を秘めた場所に立っているー
そう考えたら、有難くてありがたくて、泣いてなんかいられなくなります、ね。
インドの詩人で、東洋人として初のノーベル賞を受けた ダゴール という人の言葉に、

 

        人間の自由は、苦痛を救われることにあるのではなく、
        その苦痛を 愉悦 の一要素に変える

 

という至言があります。
そんなの無理、できっこないわ…と言われてしまうかもしれませんが、
ただ一つ、「我」を捨てることさえできたなら、苦痛を愉悦に変えることができるかもしれません。

 

例えば、お母さん。
十ヶ月もの長い間、お腹に赤ちゃんを抱え、産みの苦しみをあじわい、夜中に何度も起きて
おっぱいを飲ませ、泣くのをあやしおんぶしながら家事をして……
そんなお母さんの顔は、険しく苦しい顔をしているでしょうか?
いいえ。苦の中に悦びを感じているからこそ、子どもを育てることができるのでしょう。
少なくともその中に、「我」はないと思うのです。

 

悲観的・楽観的ー という言葉で分けてしまうのは好きではありませんが、
「ものは考えよう」という気持ちは、とっても大切なことだと痛感しています。
今は真っ暗闇でも、また目の前にやわらかで優しい光が現れる…
そう信じて生きてゆきたいものです、ね。

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