1991年、アジアの女性としては初のノーベル平和賞を受賞した、アウンサンスーチー。
長きにわたる自宅軟禁生活の中でも強い意思を持ち続ける凛とした彼女の姿は、ビルマ(現ミャンマー)国民の支えであり、軍事政権との過酷な闘いは、世界の人々の心を動かしました。
しかしその裏側に、孤独な闘いを支え続けた知られざる愛の物語があったことをご存知でしょうか。
1988年ー
英国で倖せな家庭生活を送っていたアウンサースーチーは、母の看病のため久しぶりに祖国・ビルマに戻りました。
そこで彼女が目にしたのは、学生による民主主義運動を軍事政権が武力で制圧する惨状でした。
そんな中、「ビルマ建国の父」と死後も多くの国民から敬愛されるアウンサン将軍の娘の帰国を聞きつけた民主主義運動家たちがスーチーの元に集まり、自分たちのリーダーになって欲しいと懇願します。
不安を抱きながらも民衆の前で立候補を決意するスーチーでしたが、それは軍事独裁政権との長い長い戦いの始まりであり、愛する家族との、引き裂かれた辛く厳しい人生の始まりだったのです。
なぜ、彼女はそんなにも過酷で孤独な日々を耐え抜くことができたのでしょうか。
それは…どんな時にも彼女を励まし、支え、愛し続けたイギリス人の夫の愛…。
彼は、病に倒れ死の床にあっても、彼女を呼び寄せはしませんでした。
嗚呼、いとしき妻よ
今一度、この胸に君を抱きしめたい
あの、ほほえむ瞳を見つめたい…
だが君は今、闘っている
ビルマの人々のために
愛する祖国のために…
そこを離れずともよい
わたしの魂が君のもとへと旅立つ
そう、もうじきだ…
最期まで離れなかった心とこころ。
これこそがアウンサンスーチーのすべてであり、最大の心の支えとなっていたのだと思います。
あらためて 愛 の素晴らしさを、痛感しました。