栃木の旧市内のお盆は新盆。7月13日に、仏さまをお,迎えにいきます。
お墓をきれいに清め、故人が好きだったお花をお供えし、お線香に火をつけて…
しばし、故人との語らいです。
「今日は暑いですね。お墓の中はもっともっと暑いのでしょう?」
「いいや、お前が度々きて水を供えてくれるから、快適だよ」
「家に帰れば、もっと快適ですよ。ビールも冷えてるし…さあ、帰りましょう」
「そうか、そうか。では、一年ぶりに帰るとしよう」
そんな会話をしながら提灯に火を灯し、一緒に家路を辿ります。
ところでー
故人が悲しく思うことは、なんだと思われますか。
好物だったものをお供えしてくれないこと?お墓が立派でないこと?
いいえ。わたしは 忘れ去られてしまうこと …と、思います。
生きている者でさえ、大切な人との間がだんだんと疎遠になり、忘れ去られてしまうことは、
たまらなく悲しく切ないこと…。
それ故、亡くなってしまった人の、その悲しみは察してあまりあるものと思えてなりません。
ですから、せめてお盆やお彼岸だけでも故人を思い出し、みんなでありし日の想い出話に
花を咲かせてみては如何でしょうか?
それはきっと…
どんなに豪華な花よりも清らかで美しい花となり、故人の御霊を癒すことでしょう。
合掌