おばあちゃんっ子だった私は、幼い時から高校生になるまで、多くの時を共に過ごしました。
今は亡きその祖母から、わたしはどれほど多くのことを学び、どれほど大きなパワーを貰っていたか…
最近、ことあるごとに感じることが増えました。
「祝い事はなぁ、後になって駆けつけてもその人を心から祝福することができるじゃろう?
しかし、お葬式だけはそうはいかん。その人との最期のお別れじゃからのぅ。
ー出逢ってくれて有難う。ともに生きてくれて有難う。 …さようなら ー
そう言って旅立つ人を見送るのに、後で はない。何をさしおいても駆けつけなければ悔いが残る。
長い人生の中、やむをえず残してしまう悔いもあろうが、残してはならぬ悔いがあるんじゃ。
こんなにも広い地球上で、神さまが出逢わせてくださった人さまとのお別れの時を…大事にせんと、な」
嫁いで間もない頃、大学の後輩が若くして命をおとしました。
和菓子屋では、最も忙しい年末の時でした。
猫の手も借りたいくらいの状況、まして嫁としての立場上、その務めを欠いて駆けつけることは、
常識からすれば良いことではないかもしれません。
でも、その時の私には、爪の先ほどの迷いもありませんでした。
すぐに山梨へと駆けつけ、安らかに…と祈りました。
今思えばそれは、祖母の教えが息づいていたから…と確信しています。
そしてそれは、正しかったとー
去る、二月十日。
二十代の若者が、突然病で命をおとしました。
ジャパニストという本の編集に携わり、今では編集長の右腕として、大いに期待されていました。
通夜式・告別式でお焼香する中、私は亡き彼と多くのことを語らいました。
そうして、深い悲しみに押しつぶされそうな私に、
「僕は、もっともっと学びたかった。もっともっと遊びたかった。もっともっと生きたかった…
でもね由紀さん、不思議なんだけど僕、悔いはないんです。
短い間でしたけど、僕はジャパニストの編集に関われて良かった。愉しかったなぁ…。
今までみんなに応援してもらいましたから、これからは僕が応援する番です。
なんたって、高い高い空の上から見下ろせるわけだから、何でも見えちゃう(笑)。
今まで有難うございました。僕、由紀さんのエッセイ好きでしたよ。これからも頑張って下さいね。
そして、ジャパニストのことも…よろしくお願いします。僕も、定期購読します。」
彼は笑顔で天へとのぼって逝きましたー
私は、泣いて泣いて泣いて…涙でお清めをし、お別れすることができました。
帰り道、祖母が髪を撫でてくれた気がして空を見上げるとー
「大竹くんは、お婆ちゃんが引き受けたよ」とでも言うように、おひさまがニッコリ微笑んでいました。