月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ
-月のあかりは、分け隔てなくすべてのものに降り注ぐもの…
しかし、月を見上げ 月を愛でる心なくば、その有り難さに気づくことはない-
これは、わたしの大好きな法然上人が詠んだ「月影」という歌です。
法然が9歳の時、父が夜討ちに遭い命を落としました。
武士の子であった法然。当時であれば間違いなく仇討ちに生きることになります。
しかし、「決して仇討ちなどしてはならぬ。刀を捨て、仏門に入るのだ」という父の遺言に従いました。
理不尽な死を遂げた父の枕元での、その心中はいかばかりであったことでしょう。
だからこそ、「貴族の仏教」から「庶民の仏教」へという道を切り開いていけたのだと思います。
どんなに理不尽であっても、骨肉を相争うことのないようにと願いながら散っていった父の命、
その信念こそが、法然の人生の根源でありましょう。
昔から、「子は親の鏡」「親の背をみて子は育つ」と云われています。
増え続ける幼児虐待も、ほとんどの母親は過去に虐待を受けています。
そら恐ろしい連鎖です。
愛されることを信じて、この世に産まれてくる赤ちゃん。
その純粋無垢な赤ちゃんが、抱きしめてさえ貰えず真っ暗な奈落の底へ突き落とされる…
それ以上の罪を、わたしは知りません。
「泣き止まなかったから」 これが一番の理由にあげられるといいます。
子どもを乳母車に乗せ、近くの公園や川らに出かけてみませんか。
植物を眺め川のせせらぎを聴いていると…
「目いっぱい頑張らなくてもいいんだ。わたしのペースで、ゆっくりやっていけばいいんだ」
そういう「ゆとり」が芽生えてきます。ゆとりのあるお母さんの顔は、とっても穏やか…
そう、漫画天才バカボンのママのように…。
何をしても泣き止まなかった子どもは?といえば…うそのように泣かなくなります。
なぜなら子どもは、お腹が空いていたわけでも、オムツが汚れていたからでもなく、
辛そうなお母さん 苛立つお母さんが、可哀想で切なくて泣いていたのですから。
子どもの笑顔は、天使そのもの。嫌がおうにもお母さんは我が子を抱きしめたくなる…
こうして、恐ろしい連鎖から、倖せに満ちた連鎖へと変わってゆくー
素敵ですよね。
次回は、子どもの好き嫌いで悩むお母さんへのメッセージとして、わたしの子育て体験から
「おやつ」がキーマンになる、というお話をお届けしたいと思います。
(*以前にも記載しましたが、このブログコーナーではお菓子の話題に限らず、
季節のうつり変わりや、身近な出来事や想いを綴らせて戴いております。
お菓子に関しては、新着情報にてご紹介していますので、そちらをご覧下さい)